Q56 |
この映画って、なんでこんなに評価が高いんだろ?結局カイザーはいったい何をしたかったんだろ?
(Smooth Criminal さん)
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1人の目撃者を消す為に、大勢の人々に正体バレて…アホだね。
あれこれ頑張って動いてるけど、いったいカイザーは何を得たの?
動けば動くほど、デメリットばかり増えていってんじゃん。
これが映画でなくて現実だったら、世界のおまぬけニュースになってるね。
なんかやたらと色々なサイトでこの映画を賛美してるけど…
ようはラストの歩く足のアップのシーンをカッコイイって思っただけでしょ。
そのシーンが無かったら誰もここまで取り憑かれなかったと思うよ。
(Smooth Criminal さん)
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カイザー・ソゼの最大の目的は、「密告屋アルトゥーロ・マルケスを殺すこと」ですが、
その後、身障者を装ってワザと容疑者となり、嘘の証言をして、
刑事に自分以外の人間を犯人と思い込ませて、難なく釈放されるという、
この行動の意味は「事件の真相を巧みに隠蔽する」ためです。
これこそが映画のメインテーマだと思います。
ここで注意しておきたいのは、映画の中では、警察側の誰もカイザー・ソゼ=ヴァーバル・キント
という結論にはたどりついていないことと、
ヴァーバルは過去に逮捕され、刑務所に入っていたこともある、
常連の容疑者=Usual Suspects だということです。
これを踏まえた上で、2回目、3回目と見ていく際に、
クイヤンとの会話の中における、ヴァーバルの隠蔽工作のための仕草、
つまり、視線や表情、嘘をつく元ネタの探し方なんかに気がつくと、
1回見ただけではわからない、おもしろさが発見できるでしょう。
あわせて、ヴァーバルの話した回想シーンは本当に全部嘘なのか?
カイザー・ソゼの正体は本当にヴァーバル・キントなのか?
といった難題にもチャレンジすると、更に、この作品の深さが見えてくると思います。
(verbal より)
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僕は正直、面白いと思えなかったのです。その理由を突き詰めて行くとこの一点に尽きます。
それは、何故ヴァーバルはクイヤンに話をするのか、という点です。
上の書き込みに「刑事に自分以外の人間を犯人と思い込ませて、難なく釈放される」とあります。
僕が探している答えとして、この書き込みが一番近いのかな、と思います。
しかし、ヴァーバルは2時間後に釈放される事がわかってるわけだし、
元々カイザー・ソゼであると疑われてもいないですよね?
だとすると、ヴァーバルは何も喋る必要が無いと思うんです。
もちろんヴァーバルが喋り始めなくては物語は進みません。
だからといって「物語が進まないから」という理由でヴァーバルを喋らせる脚本に納得がいきません。
無理矢理な感じがします。もしくは、ヴァーバル=おしゃべりだから、
などというアメリカン・ジョークなのでしょうか?
この映画を面白いと思われる方々は、何故ヴァーバルはクイヤンに話をする必要があるのか、
という点についてどう思われているのでしょうか?
(isao さん)
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ヴァーバルはクイヤンとの世間話をしているうちに、
クイヤンが異常なまでにキートンの存在を気にしていることを知りました。
そこで、軽くウソでも交えながら、
クイヤンの聞きたがっている5人組の話をしてあげれば、
港の事件も、すべて真犯人がキートンだと思いこんでくれるはず、というシナリオを考えたのでしょう。
最初はカイザー・ソゼの話なんて、当然するつもりはなかったのに、
思いがけなくクイヤンがそっちの方向に話を持っていくもんだから、
コバヤシやらレッドフットやら、ウソの人物を登場させて信憑性を持たせ、
当初の思惑通りの話に、軌道修正していったのではないかと思います。
(verbal より)
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もうひとつ、「映画の中では、警察側の誰もカイザー・ソゼ=ヴァーバル・キント
という結論にはたどりついていないこと」とはいったいどういう事でしょうか?
最後、明らかにクイヤンはヴァーバルを追って走っているじゃないですか?
あれはどう考えてもカイザー・ソゼがヴァーバルであることに気づいたからじゃないでしょうか?
(isao さん)
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クイヤンは、ヴァーバル=カイザー・ソゼということを、
本当に悟ったのかどうかは、定かではありません。
掲示板を見て、ヴァーバルの話は嘘だったことは気づいたのでしょう。
このときのフラッシュバックの中には、確かにヴァーバルのソゼルックのシーンも出てきますが、
これについての見解は、Q37にありますので、そちらを参照してください。
また、もう1人、ヴァーバル=カイザー・ソゼという答えに、
たどり着けそうで、たどり着いていない人物がいます。FBIのジャック・ベアです。
彼はカイザー・ソゼの人相という観点で、捜査していましたが、
ヴァーバル本人には会ってないので、FAXを受け取っても、結局は気づかずに終わっています。
ラストシーンの後に、もしクイヤンとベアが会話をすれば、2人とも完全に気づくのでしょうけど、
そこまで見せていないところが、この映画のスゴイところだと思います。
(verbal より)
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なるほど。港の事件の真犯人をキートンだと仕立てようとしたわけですか。
しかしながら自分が疑われてるならまだしも、
真犯人をキートンだと思い込ませる為にあれだけ喋りまくる必要性は無いような気がします。
あくまでも私の主観ですが。
それと、クイヤンがヴァーバル=ソゼであると気づいてないというのは、納得しました。
確かにウソだと気づいたのであって、ソゼの本性に気づいたという所までは説明してませんね。
(isao さん)
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